自己肯定に潜む罠【振り出しに戻る理由】隠された潜在意識
自分に対する評価が日頃からとても低かったり、自己否定を繰り返し続けてしまうと、人間は落ち込んで動けなくなってしまいます。
しかし、そんな自分を変えようと無理に自己肯定しようとしても、逆にリバウンドが激しくなり、さらに落ち込み具合が激しくなってしまうことがあります。
このサイクルが極まると躁鬱のような状態になります。
自分はそのままでもいい、ありのままでも認められる、自分は素晴らしい人間だ、存在するだけで価値がある・・・
表面だけいくら言い聞かせても、自分の潜在意識には実はまったく響かないのです。
いったい、なぜでしょうか?
自己肯定はどうやって作っていますか?
あなたが自分を励まそうとして作り出している自己肯定の感情は、どのようにして作られたものですか?
その肯定の素材はなんでしょう?
もしも、あなたが「自分は能力がある人間だ」と励ますとします。
その時、実はそこに「他人より」という尾ひれが付いていないでしょうか?
もしもあなたが、自分は他人よりもはるかに価値がある、できる人間なんだ!と励ましたとしても、あなたの能力自体が向上することはありません。
いくら捉え方を変えたところで、あなたがいま持っている根本的な才能や能力は、一切向上することはありません。
当たり前ですよね?
にもかかわらず、場当たり的に自分を励ますと、一体どうなるでしょうか?
自分は能力がある価値のある人間なんだ!、と勘違いしたまま過ごしていると、いずれ本当に高い能力を持っている他人と自分を比較させられる時がやってきます。
すると、自分の能力をフラットに捉えている人よりも、より一層自分の能力のなさを実感させられる羽目になるのです。
考えてみれば当たり前です。自分の妄想の通りに現実が上手く行くはずがありません。
自分に対する過大評価、錯覚の度合いが強いほど、現実を直視させられた時のダメージは大きいのです。
この過大評価はほとんどの人が、無意識のうちにやっているものです。
自分を無理やり励ます方法は、一時しのぎの鎮痛剤のようなものです。
結局その効果は、長続きしないんですね。
最大の問題は、価値観の作り方
あなたがもしも、能力のある人間とはどのような人間か?と考える時、他人を上回る者だけが能力のある人間なのだ!という価値観を無意識に持っていたとします。
すると、あなたが自分を能力のある人間として認められるのは、常に他人を上回っている時だけです。
これが、価値のある人間、幸福な人間、キラキラした人生・・・どんな表現であろうと、同じことです。
もしも、あなたが他人を心の中で蹴落とさなければ自分の価値が認められないなら、常に現実で他人を蹴落とし続けなければ自分の自尊心を保つことはできません。
現実問題として、他人を永遠に蹴落とし続けることなど不可能です。
永遠に勝者でいることはできません。
しかし、あなたが自分に対して常に勝者であることを強いるなら、この非現実的な妄想を実現化するために永遠に現実と戦い続けなければなりません。
そして、最終的に待っているものは敗北です。
実現不可能な結果をゴールにしているのですから。
二元論の世界から脱出しよう
自分を励ますために自己肯定をする。
自分を肯定して進み続ける。
しかし、その肯定の裏に強い否定が隠されていないでしょうか?
あなたが二元論のうちに作り出した他者否定は、いずれあなた自身に襲い掛かってきます。
他人を否定することによって作り出した自己肯定には、代償があるのです。
他人に対して飛ばした否定は、あなたがその他人と同じ立場になったとき、そっくりそのままあなた自身に対する評価になります。
あなたは、誰からも攻撃を受けていません。これはまさに、あなたが作り出した自己否定が、あなた自身に牙をむいた結果です。
自分でも気づかないうちに、無意識のうちに他人と比較して勝手に落ち込んでいないでしょうか?
実は、心の中で他人を蹴落とそうとした結果、その感情がそのまま自分に跳ね返ってきているんですね。
自分が心の中で作り出した否定は、あなたの世界だけのものです。
たとえ他人に押し付けたように見えても、あなたの頭の中で繰り広げられている妄想に違いないのです。
あなたが自分の脳内で作り出したものは、あなたの脳内に残り続けます。
それだけのことです。
鬱になるほどの自己否定をやめたいなら、まずは自分自身が作り出している他者否定に気がつきましょう。
他人を心で蹴落としているうちは、自分自身が這い上がれなくなるのです。
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