舎利子 道 自己認識療法のブログ

ルートチャクラの機能

ルートチャクラ、すなわち尾骨にあるチャクラは、自身の安定感を感じるためのチャクラです。
 
他のチャクラの情報を統合し、自身が安心できる環境下にいるかを測るバロメータとして機能しています。
 
強烈な不安感、焦燥感、追い詰められている感じがするときなどは、すべからくこのチャクラに歪みが生じています。
 
特に、鬱病の方はこのチャクラの代謝が深刻なレベルに落ち込んでいることが多く、現実的な安定感を感じることが非常に難しい状態です。
 
ルートチャクラで鑑みるならば、心身が疲労困憊していて動けない状態のときは、自分を責めず、決して無理せずに身体を休めてあげる、
場合によっては引きこもって回復を待つというのも、自分を守るうえでの賢明な選択の一つです。
 
無下に自分を責めたところで決して状況が好転することはないのです。むしろ、固定観念から生じている罪悪感のほうが問題かもしれませんね。

引き寄せの法則

神様に願掛けしたり、スピリチュアルパワーで自分の願いを引き寄せる、いわゆる、引き寄せの法則と呼ばれるものがあります。
 
様々な引き寄せの法則の本が世の中溢れかえってはいますが、確実に自分の夢を引き寄せる方法を、ひとつ紹介します。
 
 
・まず、自分の努力で実現可能である、現実的な目標を定めること
 
・次に、その目標の達成を妨げているものの正体を知り、ひとつずつ解決していくこと
 
 
この二つをひたすら突き詰めていけば、確実にあなたの望む夢を引き寄せることができます。
 
神様に頼るのも良いのですが、まずは自分ができることを自分自身でこなしていくこと、これこそが夢を実現するうえで最も大切なポイントです。

力任せのマッサージ

身体をほぐすマッサージは、とても力を使うイメージがあると思います。
 
実際お相撲さんなどが相手ですと、ある程度は力がないとどうしようもないことがあるのですが、基本的に普通の体格の方にマッサージや指圧をする場合、全体重を乗せてぎゅーっと押したり、筋肉をぐりぐりほぐすのは、明らかにやりすぎです。
 
力を入れないと効かないじゃないか!と思う方もいるかもしれませんが、ちゃんと固い筋肉に対して、ポイントを押さえてツボを押せるなら、ほとんどのケースでは人差し指一本だけでも指圧できるくらい、実は力は要りません。
 
それに、あまり強すぎる指圧は、周囲の筋肉を巻き込んで筋繊維を痛めてしまいます。
 
筋肉を強く抑えてもほとんど痛みが感じない方は、その筋肉周辺の感覚が、日頃負担がかかりすぎているせいで麻痺していることが多いです。
 
 
そのような方は、あまり身体のメンテナンスを人任せにせず、全身の軽いストレッチや代謝が上がる運動を習慣づけるほうが実は効果的なのです。
 
あと、筋肉を柔らかくするなら休息がとても大事です!睡眠はきちっととって下さいね。

霊視を行う

いつも治療の時、必ず体の悪い部分(オーラの第1~2層や経絡)を霊視して、どんな状態か?ひどい傷ではないか?手に付けられない問題がないか?私は常に霊視でも確認するようにしています。
 
この視覚の焦点を変えると、幽霊が見えたり聖霊が見えたりするのですが、このような物質的次元と関りが薄い存在たち(特に幽霊)は、見えない人からすると、妄想や荒唐無稽な幻覚を見ているのと全く区別がつきません。
 
そもそも物質に関わりが薄い彼らの存在を見ることに意味があるのでしょうか?(厳密いえば、実はかなり深くかかわっているのですが)。
 
幽霊の存在を見ることができない方に伝えても、人間が生きる上でほとんど生活に無関係なのは事実です。
 
 
見えない、感じない人からすれば、妄想と霊視に違いなどないのです。
 
 
しかし、身体はそうはいきません。
 
身体の状態をピタリと言い当てる、普通の治療家が発見できないような細かい傷や見落としを、チャクラやオーラを応用するとピタリと言い当てることができます(当然ながら限界はありますが)。
 
 
逆に、たとえ霊視をしていても、悪い場所を見逃したり、見当違いな見識を持って意味のない箇所を施術すると、身体の症状はよくなりません。
 
 
霊視で適切に悪い部位を見極め、それが科学的に事実だと確認でき、そして治癒へと導ける。
 
だからこそ、自分の見ているものが真実だと断言できるのです。
 

心は礼儀正しいか?

世の中、礼儀を重んずる方がいます。
 
上司や先輩に対する接し方はこうだ、頭を下げるのが普通だ、とか、お客さんに対しては応接室にお通しして茶菓子を振舞うのが当然だ、とか、いろいろありますね。
 
 
礼儀というのは、他人を尊重するための気遣いです。気を使い、尊重することは良いことです。
それに、礼儀を全く守らないとようだと、社会で生き辛いでしょうね。
 
しかし、自分が行っている礼儀を他人に強要し始めるようなら、気をつけねばなりません。
 
相手との関係を壊してしまいますし、何よりも、相手を尊重する、という礼儀正しく振舞う本来の目的を見失ってしまいます。
 
 
礼儀を守るな、と言っているのではありません。礼儀というのは必要なものです。
 
しかし、礼儀を他人を攻撃するためのダシとして使ってしまうと、その人間関係を壊してしまいかねません。
特に、自分の礼儀正しさを笠に着て、他人を攻撃し始めると厄介です。
 
このような方は、心は礼儀正しいと言えるでしょうか?
 
 
何事も一つの価値基準だけで優劣をつけようとすると、自分の視野を狭めてしまいます。気を付けなければなりません。
 
礼儀や作法も、相手との関係によって臨機応変に変えることが賢い選択だと思います。

バランスを保つ

何事も極端にいかず、バランスを維持することは大切です。
 
まったく運動をしていない人が翌日から毎日10キロマラソンをするなど、何事も極端から極端へ走るとそのしわ寄せが何かに現れるものです。
 
かと言って、どのような時でも中立、真ん中を意識していればいいのでしょうか?
 
時としては、あえて極端に走ることが最も有効な選択であることがあります。
 
例えば弁護士などがそうです。弁護士は依頼人の立場でものを考えることが仕事であり、訴訟相手のことを意識して中立を貫く、というわけにはいきません。それでは仕事になりませんし、何よりクライアントに対する重大な裏切りとなり、信用も損ねてしまいます。
 
 
難しいことではありますが、状況を俯瞰したうえで、最善を尽くすためにその場に応じて、あえて極端な選択を取ることができる人は強いのです。
 
 
逆にバランスを意識しすぎるあまり、中立を維持することが、時として最も有害となることがあるのです。
 

病気と認識 瞑想

病気とは、様々な意味で身体への認識不足が祟った結果、悪習慣が積み重なって起こるものです。

 

特に、生活習慣病をはじめとした、歳によって生ずる病は。

 

 

すなわち、逆に言えば病気というのは自分が日常を過ごしている中で、意識できていない歪みがあることを教えてくれているサインとも言えます。

 

何らかの現実を認識できていない、理解できていない証です。

 

 

その原因は食事や睡眠、嗜好品などによる物理的なものが原因であることもありますし、それこそ渇愛、怒りや性格的悪癖や歪んだ思考パターンが生み出していることもあります。

 

 

医者がその原因を探り当てることができることも当然ありますが、自分の肉体と最も長い時間をともに過ごし、日頃何をしているかを最も理解できるのは、何を隠そうほかの誰よりも自分自身のはずです。

 

 

日頃の意識さえしていない悪習慣や悪癖などは、医者でさえ見抜くことが困難なものです。

 

本人もそれが悪いなどと自覚していないのですから。

 

 

以前私が視た方で、加速度的認知症を引き起こしている原因が、高濃度のトランス脂肪酸を毎日摂取していた、ということがありました。

 

トランス脂肪酸認知症を引き起こすという事実が一般的に知られる前のことです。

 

 

かなり長い時間問診と霊視を繰り返し、ようやく見つけ出した結論ですから、ましてや診断に時間が取れず、原因さえ予測できないようなものを、第三者が見抜くことは非常に難しいはずです。

 

 

しかし自分が見つけるなら、何かしらのヒントはあるものです。健康に悪いものを摂取した後の自分の身体の微妙な変化に気づくこと。それが何を意味するのか。なぜそのようなことが起こるのか。日頃から自分の感情の揺れ動きをはじめ、体調の変化に注意を払えているか。しっかり意識してチェックすると糸口が開けることが多いのです。

 

 

ただ、この繊細な感覚を磨くには、やはり瞑想が必要だと私は思います。

 

 

ヴィッパサナーはとても良い瞑想法です。やり方さえ間違えなければ。

 

 

スポーツの練習にせよ野球の素振りにせよ、ただ闇雲に回数だけ増やして練習する人は、目的意識を持って練習と改善を積み重ねている人には敵わなくなってしまうものです。

 

どのような修行法も目的を見失ってしまうと、得られるはずのものが得られなくなってしまいます。

 

常に目的意識を持ち、そのための行動を本当に実践できているか?自分自身が自覚しなければ、表面的にいくら正しいと言われている修行法を教えてもらっても、身に付かないのです。

 

 

常に自灯明、自分で責任を持って、自分自身を導いていあげましょう。