舎利子 道 自己認識療法のブログ

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善と悪について5【悪人が得をする理由】

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世の中には、悪が蔓延っています。

悪が法の網の目をくぐり、悪人が悪行を行い、善良な市民から金銭を巻き上げ、大儲けしています。

 

人に不利益を生じることをまったく考えずに詐欺まがいの情報商材や効果のない食品を売りつける悪徳商人、警察とつるんで違法取引に手を染めるヤクザの親分、カネの為なら手段を選ばず儲けのみを追求する悪徳医師。

 

社会の規範を考えるならば、悪行を働く者は社会から罰を受けて然るべきです。

悪人を罰し、裁きを下し、悪行を止めさせることで、善良な市民のみの国家を維持することができます。

 

しかし、悪行を行って利益を得ている人々、本当に彼らは「悪」なのでしょうか?

社会から一方的に迫害を受けた結果として、実はその悪徳から得た利得を得ることでようやく彼らが受け取る報酬、人生の帳尻が合っていたとしたらどうでしょう。

 

法を守り、法に従い、社会の秩序を守ることは、安全に暮らすことのできる社会を維持するためには不可避です。

しかし、その秩序を維持するために従うべき規範である法そのものが、矛盾や異常性を孕んでいるがために、世の中に悪行を働かざるを得ない人々を蔓延らせる結果となっているとしたら。

 

法の下の不平等

今の世の中は学歴社会、金銭至上主義の社会です。

高学歴者がトップエリートとなり、官僚や大企業の幹部として抜擢され、自分達に一方的に有利となる様々な規範を創り上げ、理論の正当性を主張して一般市民から一方的に金銭を略奪するという構図が少なからずあります。

 

官僚や政治家は合法的に自分たちにとって有利な法案を可決し、法に触れない範囲で法さえも操作し、自分達だけにとって一方的に有利な制度を作り出し、権力を一極集中させようとします。

彼らの頭の中には国を守り、繁栄を維持するという目的意識は薄く、自分達の利益や保身の事しか頭にないとしたら。

例え合法であろうが、皆からの賛同を得ていようが、その歪な権力社会を作り出した結果として、搾取される側に回らざるを得ない人々が当然生み出されます。

彼らは罪を犯したわけでないにも関わらず、一方的に社会的・経済的に不利益を被る立場に置かれ、労働力や生命を一方的に搾取されるのです。

 

このような歪な社会があるとしたらどうでしょう。

搾取される人々が律儀に法を守る云われはありませんし、むしろ、法を破って利益を得ることで初めて本来生きる為に必要な報酬がもたらされることになります。

  • 雇用保険の負担が増大した結果、働く場所を奪われてしまった人
  • 空気が読めないという理由だけで就職先が見つからない人
  • 発達障害を持っているという理由で障害者というレッテルを貼られ、病院に拘束されてまともに暮らすことすらできない人
  • 日夜真面目に働いているにも関わらず、努力がまったく認められずまともに暮らせる給料も得られない人
  • 年齢が高いという理由だけで辞職に追い込まれ、食べていく日銭すらろくに稼げない境遇に追い込まれた人
  • 犯罪まがいの行為を続ける社長に物申しただけで、業界から追放されてしまい、再就職先を見つけることさえ出来なくなった人

 

どんな人でも、命に関わるほど追い詰められてしまうと、法を遵守することや犯罪行為を避けることは二の次になります。

例え、法に則り、法的に正当だと見做される行為だとしても、それを利用して他人を蹴落とし、他人を利用し、欺き、搾取しようとする人間はたくさんいます。

そんな彼らが法を管理し、法を守っているから正当だといくら主張したところで、実際に彼らが一方的に弱者を虐げ、搾取しているという事実は違いありません。

 

そんな弱者が彼らに対抗し、命を守り食い繋いでいくためには、法に反した行為に走らなければならないことも当然あるでしょう。

そんな彼らが悪行を働き、悪行によって得をしたとしても、実際にはそれでようやく彼らの今までの行いが報われ、帳尻が取れた結果である可能性があります。

 

善行や、法に則った仕事を全うした結果として得られた報酬は正当なものです。誰も咎めることはありません。

しかし、法に則って得た利益だとしても、それは本当に正当な報酬であるかどうかは全く別な話です。

法さえ守っていれば他者を一方的に搾取しても構わないのでしょうか?

 

現在、日本国内で問題となっている、派遣会社による労働者の一方的な搾取、名ばかり中間管理職や不法就役の実態、合法的に行われる国民資産の売却、行方の分からない金融資産・・・

 

歪な富の偏りは、結果的に歪な人間をたくさん作り出すのです。

正当性を盾に不法を働けば、不法行為に手を染めざるを得ない人間をたくさん産み出します。

これもまた鏡の法則であり、引き寄せの法則であり、責任転嫁の結果なのであり、自分達の行動に責任を取ってこなかった結果、因果応報だと言えるでしょう。

 

社会的に必要な悪行を悪人に押し付けたとしても、それはただの錯覚に過ぎません。その悪の片棒は自分もまた担いでいるのです。

 

悪を働く権力者は姑息なものです。

悪事は人に押し付け、自分は出来る限り責任を回避し、安寧を貪るために尽力します。

何か問題が起こったときには、他人にその責任を擦り付け、トカゲの尻尾切りで凌ぎます。

自分は高みからその他人を民衆と共に非難するのです。 

 

 

しかし、実のところ、あなたも、全く同じことをやっていないでしょうか?

 

自分よりも身分の低い人間を見下す人がいます。

裕福な大富豪の家系の人が、毎日やってくるゴミ清掃車の人々を、学のない汚い人間だと内心、見下していました。

しかし、彼らの働きがなければ自分たちの生活は当然、成り立ちません。彼らの働きによって、学者の家系の人は生かされているのです。もしも自分が独りの力で生きるならば、ごみの管理やゴミ捨ては自力でやらなければならない仕事です。

彼らの仕事を低俗なものと罵り、なおかつ彼らの仕事により一方的に益のみを得るということは、まさにその悪の片棒を担いでいるに等しい行為です。

 

ヒヨコを屠殺する養鶏業者がいます。生まれたばかりのヒヨコをたくさん殺すことは悪でしょうか?

あなたは、スーパーに並ぶ卵を買いますか?安いほど嬉しい、買いたくなるのではないでしょうか?

かつて卵は、一個500円もする高級食材でした。現在、卵があれだけの破格で売られているのは、生産効率を最大限に突き詰め、不要なヒヨコを即座に処分することによって得られています。

彼らの仕事を悪辣であると一方的に非難し、彼らの仕事の利益だけを享受しようとする行為は咎められることのない善でしょうか?

 

自分が悪と決めつけ、咎めているにも関わらず、その悪行に依存して生きてる人は、明らかにその悪行の片棒を担いでいます。

 

実のところ、彼らの無慈悲な悪行は「悪」ではなく、あなた達を活かすための汚れ仕事、「善行」だったのです。

 

もしも自分の生活が他人の悪行によって支えられているならば、その彼らを攻める謂れはありません。

自分が生きるために必要な悪の側面を他人に擦り付け、責任転嫁しているに過ぎないのです。

 

このようにして、解釈や理解によって現在の立場や善悪は入れ替わります。

 

警察は悪を抑制し、犯罪者を抑圧し治安を守ることが仕事ですが、そんな彼らの仕事は犯罪者の存在によって支えられています。

犯罪者がいなくなれば彼らの仕事は無くなり、警察全員が路頭に迷ってしまうでしょう。奇妙なことですが、彼らの存在は犯罪者によって支えられているのです。

 

本当に社会に対して一方的に悪行を働いている者は、相応の応酬、罰則を科せられます。

やくざの親分が罰を受けることがないのは、彼らの行いを賛同する者が多いためです。社会的に「悪」というレッテルを貼られ、迫害された人々の受け皿となっているためです。

 

 

もしも、一人で勝手に大量殺人を行うような間抜けがいたならば、逮捕され、相応の刑罰に処されます。彼らにも彼らなりの犯行理由、独善があったかもしれませんが。

 

 

★おまけ★ ただの善人に魅力がない理由

ただの善人は、権力に屈して弱者でいることを代償に安全を買っている人です。

すなわち、自分だけが安全な場所に身を置き、安全を貪り、ノーリスクで悪を一方的に非難しようとしている偽善者です。

そんな人間に、他者を惹きつける魅力があるはずがありません。

 

しかし、その卑怯さが生きるためには最も正しい選択であることもあるでしょう。

非難することはできません。

 

善人という立場を買うことにも相応の対価、リスクがあるということです。

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