愛のメカニズム 愛を受け取るために必要なこと
愛には様々な形があります。家族に向ける愛、子供に対する愛、パートナーと分かち合う愛・・・
愛という感情はいったい、どのようにして働いているのでしょうか?
愛には、その深さによって段階があります。
存在容認 → 存在肯定 → 行動肯定 → 共存 → 共有
上記の段階が進むほどに、愛はより深いレベルになっていきます。
上記の流れで、深い愛まで進むためには、愛する側と愛される側の、両方の協力が必要です。
また、趣味や好み、日頃の考えに強い偏りがあると、上記の状態を維持することはできなくなるため、互いに愛を受け取り、与えあうことはできなくなり、愛を感じることのできない関係となります。
世の中、肉体的な関係を強く持っていたり、幅広い交際を持ちながらも、それらの関係の中に愛を感じることができない人が大勢います。
たとえ沢山の人に囲まれていても、上記の関係を維持することができず、愛を受け取り、与え合うという関係を構築することができないからです。
要するに、愛を受け取るためには、本人自身が愛を与え合うことのできるための力が必要なのです。
愛の段階
存在容認
存在を認めるためには、まずはその存在がいることを理解できなければなりません。
例えば、学歴優秀、エリートな医者の彼氏を愛するためには、学歴とは何か?どのような価値があるのか?医者とはどのような仕事をする人なのか?どのような社会的地位を持っているのか?
を知っていなければなりません。
犬を愛するなら、犬とは何か?どのような動物で、とんな特徴がある生き物なのか?
知っていないと、犬を愛することはできません。
人間は、概念自体を理解できないもの、感じ取ることができないものを愛することはできません。
存在肯定
人間は、存在を肯定できる人(対象)でないと愛することはできません。
貴方は、エリート街道をひた走っている医者の彼氏は好きでしょうか?
では、ミュージシャンはどうでしょう?
建設作業員は?
自営業を営む男性は?
あなたが肯定できるものは、一体なんでしょうか?
肯定できる人の種類の幅が狭ければ狭いほど、あなたが日常で愛という感情を発露することは難しくなります。
自分が嫌う人間とは、愛を与え合うことはできないのです。
行動肯定
あなたは、他人の行動を日ごろから肯定することが出来ているでしょうか?
他人は、あなたの自分勝手な考えに反して、様々な行動をします。
ちょっとした態度や仕草がおかしい
お箸の使い方が変
お辞儀の角度が足りない
髪が整っていない
レディファ―ストが守れない男性
何かとすぐ他人の悪口を言う人
あなたに悪態をつく癖がある人
もしくは
不機嫌なエネルギーを持ってくる
不遜な態度で接してくる
敵意をむき出しにしてくる
露骨にあなたを嫌っている・・・
仕事、目標、動機や様々な生き方
行動や生き方は、人それぞれ違うものです。
しかし、あなたが受け入れがたい、許せない考え方や行動が多ければ多いほど、その行動や考え方をする人たちと愛を与え合うことはできなくなります。
共存
存在を肯定し、彼らを心から認めたとしても、自分がその行動をする人達と共に、同じ場所にいることはできるでしょうか?。
あなたが他人の行動や生き方を心より肯定できた瞬間から、あなたはその他人とともに同じ場所で過ごすことができるようになります。彼らの存在、価値観を思いやることができるようになるのです。
そして、その関係が双方より成立したとき、そこには共存できる関係が生まれます。
互いが互いを思いやり、利するところとそうでないところを譲り合い、互いに支え合い共存することができるのです。
あなたは、日頃の自分の言動が周囲に与える影響を把握しているでしょうか?
逆にもし不快な思いをさせられた時、笑って許すことができますか?
自分自身の行動と、他人から受ける影響、この両方のバランスを上手く取ることができると、あなたは他人の間にいても心を安定して立ち続けていられます。
逆に、他人から受ける影響をいつも悪意的に解釈してしまう癖があると、このレベルの愛を持ちつづけることは非常に難しいでしょう。
(あいつの今の仕草は私に反抗した証拠だわ!!あいつは今、私のものを盗もうとした!!私に痴漢しようとした!!今こっちを見ていたのは、私に邪な気持ちがあるからだわ!!)
共有
自分の行動は他人とともにあり、他人の行動は自分のためにある。
男女関係、特に家族や夫婦関係の愛はこちらに属します。
自分の行動は自分のためであり、他人(パートナー)のためでもあるのです。
自分が生きることが相手を活かすことになり、相手を活かすことが自分を活かすことになる。
このような関係を作るためには、心より信頼できる相手と、そして何より自分自身が相手を理解できていることが必要です。
すなわち、悪いところ、良いところも含め、特徴・傾向・自分との関係性まで、あらゆる点で相手を受け入れ、互いに協力することのできる関係に昇華できなければ、このレベルの愛を与え合うことはできません。
身勝手で誠実さに欠けた気持ちを持った関係では、本当の意味で互いを信頼し合い、愛し、支え合うことはできないのです。
本当に愛がほしいなら
いつも愛がほしくてたまらない、不足していると感じるならば、自分が今おかれている環境や周囲の人を真の意味で愛せていないからです。
- 日頃から気に入らないことがあまりに多い
- 他人をたぶらかすことばかり頭に浮かぶ
- いつも自分に悪さを働こうとする人ばかりが寄ってくる
このような状態では、愛を感じることなどはできないでしょう。
第一のステップとして、もしもあなたにとって良くない環境だと思うならば、そのような環境に置かれている自分、そのような環境を引き寄せてしまう自分の考え方や行動、日頃の癖を変える必要があります。
例えば周囲にいる男性がいつも不誠実で、蔑視的で攻撃的だったとしても、自分がそのような男性のみと付き合うことだけに慣れ切ってしまってはいないでしょうか?
いつの間にか、あなた自身も彼らに対して心から不誠実になっていませんか?
不誠実な人に対しては必要以上に馬鹿正直である必要はありませんが、もしもあなたが彼らの価値観や考え方に合わせて不誠実な人になっていたのなら、誠実な人はあなたには惹かれないし、付き合おうとも思わないでしょう。
第二に、周囲の人が揃って不誠実だったとしても、その中から愛を見出す方法もあります。
不誠実な彼らに迎合する必要はないし、自分が嫌ならば付き合う必要もありません。
ただ、彼らの生き方、在り方を認めればよいのです。
彼らのやり方を認めるからこそ、自分も彼らに対して、彼らの害意を避ける行動を許せるようになるでしょう。
彼らはそういう生き物なのだ、だからこそ、自分も適切な対応の仕方を身に着ける必要がある。
これは彼らの存在を許し、自分をも活かす「共存の境地」です。
悪いやつが存在することが許せない!
ではなく、
彼らは悪い存在なのだ!と心から認めてあげましょう。
彼らを否定する自分を愛することができるようになれば、自分を否定してくる彼らを愛することもできるようになるのです。
これがカルマの法則と言われるものです。
ちょっと不思議ですよね?
また注意としては、愛はみだりに深ければ良いというものではないということです。
自分と他人では生き方や在り方が全く違って当たり前です。
そのためお互いが利害のために衝突することは当然、喧嘩すること、嫌うようなこと、否定しなければならない場面は、日頃から当たり前のようにあるのが至極当然なのです。
真の愛を育むためには自分と他人の違いを真に受け入れなければなりません。
愛は他人から無理やり奪うことはできないのです。
無理やり愛を奪おうとすると、結果的にみだりに肉体関係を結んだり、互いにダメージを与え合う関係になって最終的に破局します。
もし関係が続いたとしても、そこにはもう愛はありません。
本当の意味であなたと愛を与え合うことのできる人は、あなたとレベルがちょうど合った人だけです。
もしも仮初めの愛ではない、本当の愛がほしいなら、あなた自身が本当の愛の育み方を知り、広い許容力と人間関係を維持するための知恵を育むことが必要になってきます。