根本から苦痛を治すために必要なこと【体と心】
自分が現在抱えている悩みは、原因が解消されることがなければ、その悩みもまた解決されることはありません。
今回は、そんな話です。
体調不良に陥った身体、そして不調の回復することがない心。
人間は心身の病によって苦痛にあえぎ、安楽に過ごせずに悩まされるものです。
生きる上で全く苦しみを持たない人はいません。
どのような境遇の人でも例外なく、大なり小なりの心身の悩みを抱えて生きています。
様々な苦痛
生きる上で突き当たる壁や、様々な問題があるでしょう。
例えば、お金がない。
人間が現代社会で生きていくためにはお金は絶対必要なものです。
足りなくなれば生きていくことはできません。しかし、必要以上に沢山持っていても様々なトラブルに巻き込まれます。
身体が痛い。
肩の筋肉がガチガチに固まってしまい、腕を動かすだけでもとても辛い。
ただ日常を過ごしているだけで身体の痛みに悩まされていては、やりたいことをやるにも、やるべき仕事も手につきません。
痛みのせいで気が散って、とてもほかの作業に集中することができません。
心の苦しみ。
心の悩みもまた、他の苦痛と等しく、とても苦しいものです。
いつも自分自身が無価値に感じる。存在意義を感じることができない。
ただ自分の存在を消してしまいたくなる。周囲から疎んじられる苦痛。
そのような心の苦痛があれば、生きるための気力がわいてこなくなるばかりか、そもそも生きることそのものを放棄してしまいたくなるでしょう。
心、体、環境…これらは一見するとまったく別個の種類のものに見えますが、苦痛をもたらしているという意味ではすべて共通のものです。
苦痛を解決する方法
そして、これらの苦痛を解決するためには、二通りの方法があります。
それは、今まさに発生している苦痛を一時的に食い止めること。
そして、苦痛を引き起こす根幹を解決し、火元を断つことです。
お金がないために発生している苦痛を止めるためには、お金がなければなりません。
逆に言えば、お金さえあれば、その時点で苦しみは止まります。
銀行でお金を下ろす。ローンで借りる。働いてお金を稼ぐ。もしくは、誰かからお金を融通してもらう。
お金がないことで発生する苦痛は、お金が手に入れば治まります。
しかし、その手に入れたお金を使ってしまえば、またお金がない苦痛は始まります。
たとえ一時しのぎのために多額のお金を金欠で悩んでいる人に渡しても、そのお金を使い果たしてしまえば、また同じ苦痛が再発するのです。
身体でも、同じことが起こります。
肩が痛い、苦しい。あまりにも痛いので、サロンパスやロキソニンで痛みを止めます。肩をマッサージでほぐします。すると、見違えるように肩が軽くなり、スッキリします。もう、痛みに悩まされません。
しかし、数時間経ちしばらくすると、また肩回りがガチガチに張ってくる感覚があります。痛み止めの効果も切れてきます。
するとどうでしょう。また肩の痛みは元通り。痛くてたまりません。また当座をしのぐためには、痛み止めを飲み続けるしかありません。
心の問題も同じです。いつも寂しい。人間関係がうまくいかないことに辟易している。
なかなか認めてもらえない。
この苦痛を誤魔化すために、パチンコにのめり込みます。
パチンコを続けている間は楽しい。興奮できる。日常の苦痛を忘れられる。
しかし、パチンコを止めてしまえば、また現実の自分に引き戻される。また苦痛だらけの日常に逆戻りしてしまいます。
苦痛の根幹を取り除く
お金がない、という苦痛を解決するためには、お金を得るための手段を獲得しなければなりません。
職を探し働く、もしくはそれに準じる行動を起こす必要がありますよね。
しかし、お金を借りるほうが手っ取り早いものです。決して行動を起こした瞬間からその苦痛が取れるわけでもありません。
しかし、努力の結果が実って安定した仕事を獲得することができれば、お金がない!という苦痛に苛まれることはなくなります。
身体の苦痛、肩こりも同じです。肩こりを引き起こす原因となる体幹の筋肉を改善するための運動や、ストレッチ、そして悪い姿勢(スマホ首や長時間の悪姿勢の読書など)を改善する習慣を身につければ、肩こりに悩まされることは無くなります。
しかし、そのためには今までの悪習慣を絶ちきり、従来の生活スタイルを変えなければなりません。
心の問題も同じです。
他人と折り合いが悪いために疎外感を感じるのでしょうか。
すべて、自分の扱いが不当に悪いために発生している苦しみでしょうか?
周囲の人間関係をガラリと変えてしまえば、すべて解決するでしょうか?
時としてはそれが最も良いな選択です。
しかしもしかすると、自分自身の人との付き合い方、考え方に大きな問題があるかもしれません。
もしも自分自身にこそ大きな問題があったならば、たとえ今の人間関係が大きく変わったとしても、また同じような問題がいずれ噴出してくるでしょう。
自分にとって最も身近にいる人間、すなわち自分自身の態度や性格は、依然として変わっていないのです。
自分の在り方を変えるために他人との関係を変えることは有意義ですが、すべてを「他人のせい」にして自分の在り方に固執してしまうと、また似たような人間関係を引き寄せてしまいます。
苦痛を解決するための共通課題
心や身体、そして人生の問題を根幹から解決したいなら、今までの自分の行動パターンを変えること、そして変えたパターンを継続することが必要です。
誤った行動パターンを省みずに繰り返してしまうために、苦痛は繰り返し発生し続けます。
慣れきってしまった行動パターンに執着していると、また同じ苦痛を作り続けるのです。
人間は、習慣化された行動を繰り返すこと安心を感じます。
たとえそれが苦痛を伴ったはずのものでも、同じパターンを繰り返すことには苦痛をあまり感じないのです。
しかし逆に、習慣を変えることに対しては大きな苦痛を感じます。
たとえ問題が悪化していたとしても、習慣を変えることにより起こる苦痛の方がはるかに大きく感じるのです。習慣を変えることは危険だ。未知の危機があるぞ、と。
そうして同じ行動パターンにしがみついている期間が長ければ長いほど、状況は刻々と悪化していきます。
苦痛を根幹から解決するためには、遅かれ早かれ「苦痛の源泉である自分自身のあり方」を変える必要があります。
一時的に苦痛を避けることが悪いわけではありません。
他の問題に集中しなければならない時期もあります。
しかし、抱えている問題に永遠に蓋をしていれば、いずれ必ずその問題はより大きな苦痛となって顕れるようになります。
もともと金遣いが荒い人にたくさんのお金を渡しても、その人がお金の使い方を改めようとしない限りは、また貧乏のどん底に逆戻りしてしまいます。
しかし、立ち直るための資金がなければ、貧乏から脱出することもできません。
虫歯にならないためには、歯を磨く習慣を付けなければいけません。
しかし、一度虫歯になってしまった歯は、その後どれだけ歯を磨いても元通りになることはありません。
現在抱えている問題を乗り越えるためにはお金や薬、そして娯楽は必要です。しかし、同時に苦しみの発生源を解決しなければ、また状況は元の木阿弥になってしまいます。
自分のあり方を変えること。これが苦痛を脱するために必要な課程なのです。
いくら神仏に祈っても、誰かに依りかかっても、自分が変わらない限りは、抱えている問題の種が解決されることはないのです。