舎利子 道 自己認識療法のブログ

舎利子 道 健康とスピリチュアル・瞑想のブログ

医学・哲学・スピリチュアルから多次元的に理論構築・健康改善のヒントを発信。

シュタイナー 超感覚的世界を得るための「条件」

尊敬や敬意といった感情は、本人の認識に変化を及ぼす。結果的に行動を変えることになる。

感情は物理的な現実とは分け隔てて考えられることが一般的である。

 

しかし、尊敬、経緯、畏敬などの感情は、心を健全でより強いものにし、心に活力を与える。

逆に、本来価値があるものを過小評価したり、軽蔑したり、反感をそれに感じたりすると、心の活動は麻痺し、精神は不活発に なる。

 

外側ばかりに目を向けていると、人間の内面は無味乾燥となる。

ある対象から別の対象へと心が次から次へと移り行く、常に「気晴らし」を求める人は人生で行くべき道を見失う。

 

だからと言って、外面を見るなと言っているわけではない。

常に自己の内面が心の主導権を握っているべきだということだ。

 

内面の輝きは、外面ばかりを見ていても、もたらされることはない。

それは、自己の内面を掘り起こすことによって、はじめて得られる輝きである。

ひっそりと孤独に自己沈潜する時間を生活の中に確保できたならば、万象のことごとくが、壮麗な神聖の輝きで満たされる。

 

逆に、もしも自分の自我の欲望に従うだけで人生を終わらせるなら、求めていた結果とは正反対のものしか掴めないだろう。

 

外界の事柄は、自己の内面を開示させてくれる。しかし、その答えは外面には存在していない。自己の認識力を育てることで、初めてもたらされるものである。

 

外面に執心することは、内面の固定化を招く。数知れぬ魂の誘惑である「自我」は、自身を硬化させ、自己閉鎖的なものにしようとしてしまう。

 

外面に執心するのではなく、ただ外面から常に受け取ることを「楽しむ」こと。一時の悦楽に拘り、執着する行為は自己閉鎖を招く。

 

外面を無視し、閉鎖された「自我」をいくら肥大化させたとしても、外面の世界はそんな自我を「無視」するであろう。

そんな世界にとって、自我は死んでいるに等しい。

 

 

「あなたの求めるどのようなものも、あなたの内面の財産を蓄積するためのものであるなら、それはあなたが進むべき道から遠ざける。

しかしあなたの求めるものが人格を育て、世界を進歩させるためのものであるなら、それは成熟への過程であなたを前進させる。」

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