人生で追い詰められた時 正しいスピリチュアル的な方法【人生の課題】
あるツイートを見て、子宮系スピリチュアルと言われるものが流行っていることを知りました。
その内容たるや、かなりキツイものがありますが、興味があるなら調べてみてください(自己責任で)。
どのようなものであれ同じことですが、物質の法則や社会の道徳を信仰で超越することなんてできません。
人間は何もないところに物質やお金を創り出すことはできませんし、ましてや信仰を理由に法律を破っても、信仰していれば免罪になるなどということもありません。
現代社会を生きる大原則として、他人の生活が楽になる、または楽しく暮らせるようなものを作れるように社会に協力し、人が生きる手伝いができなければ、お金が入ってくることはありません。
この法則を捨て去るような理念や信仰をいくら持ったところで、誰もこの大原則から逃れることはできないのです。
スピリチュアルは、この原則から逃げるために使うことはできません。
理念や信仰だろうと宗教・思想でも同じことです。
物質的現実の前には、言い訳はまったく通用しません。法則は平等に、常に正しく働いています。
もしも信仰で一時的に法則から逃れられたように見えても、いずれ大きな負債となって自分自身に襲い掛かってくるでしょう。
逃れられるように見えるのは、自分自身が問題の本質から目を背け続けているからです。
人生で何か大きな問題や障害が立ちはだかったとき、その解決方法が自然に湧いてくる。どうすればその問題を取り除くことができるか?それが手に取るようにわかる!
本来スピリチュアルとは、そのようなものです。
自分の内にある欲望や問題、抱えている感情、他人との間にある問題や葛藤、現実的な状態や課題と真摯に向き合い、それらの中身を紐解き、分析することで、人生を乗り越えるための智慧を身に付ける!
そのためのヒントを得ることが、スピリチュアルが持っている本来の使命なのです。
例えば、自分が直面している問題と取り組むことをひたすら避けて、ただ言われるままに先生に追随するだけで何も考えずに問題を解決できる、何も努力せず自分がまったく成長しなくてもただ信じていれば救われる。
そのような教えが、あなたの恩恵となることはありません。
本来努力すれば得られるはずの素晴らしい人生も、どんどん遠ざかっていくでしょう。
心が弱っていると、このような教えが救いの神に見えることがあります。
まさに、悪魔は弱い心に付け入ろうとするわけですね。
例を挙げるなら、チャクラを開く瞑想は、自分の視野を広げるためにあります。
チャクラを開くと、今まで生きていた現実の捉え方や理解が広がります。
チャクラを開くと今までまったく理解できなかった人の感情が理解できるようになったり、身体の不調や感情の揺れ動きが分かるようになります。
すると、今まで喧嘩するような仲だった人とも円満な人間関係を築けるようになったり、病気のサインをいち早く意識できるために健康を保てるようになるわけです。
現実を深く知ることができれば、何をすれば問題を解決できるのかがわかるのです。
自分が弱っているときに心から相談できる人がいないというのは、とても不幸なことではあります。
しかし、そんな時でもせめてヤケにならず、自分をしっかりと見つめ直す機会だとポジティブに考えることができたら良いですね。