コミュ障の原因と改善法【空気が読めない】感じることの大切さ
コミュ障が知らない 空気を読むことの大切さ
他人の気持ちが分からない、どのように行動すれば良いか分からない。
いつも余計なことをして顰蹙を買ってしまう。
空気を読めなければ嫌われてしまう、場の雰囲気をつかむ事が苦手。
日頃人間関係がうまく行かずに悩んではいませんか?
日本は「空気を読む」、「他人と一緒に行動する」という点に特に重点に置く社会のため、場に馴染めない人や、他人を気遣う能力が高くない人にとっては、居心地の悪い社会です。
特に空気を読むことが強要される一方、空気を読めない人を爪弾きにして遠ざけてしまう傾向があります。
他人の心や感情が分からなければ、友人関係や人間関係で問題を持ちやすくなります。
確かに、空気を読めないだけで周囲から敬遠されてしまうことは理不尽ではありますが、逆に言えば、日本人は周囲の人たちと共に歩むことによって、困難や危機的状況を乗り越えてきたのだと言えます。一致団結し、力を合わせてきたからこそ築かれた文化だということですね。
実のところ、空気をまったく読まない社会というのも、居心地が悪いものです。
他人に気を遣う必要がまったくない社会を想像してみましょう。
そこは、常識というものがありません。縛られる必要もありません。
常識など存在しないのですから。
そんな社会は自然と犯罪の温床となり、治安の悪化、ないしは、不当な契約をしょっちゅう迫られたり、暴力で物事を解決しようとしたり、カンタンに物を盗もうとしたりします。
法に触れさえしなければ良いと考え、迷惑を働くような人も次々と出てくるでしょう。
一致団結し、空気を作る、読むという文化が醸造されているからこそ、日本は未だに女性が夜道を歩くことが出来る社会なのです。
皆がともに団結し、常識を共有するというのは決して悪いことばかりではないのです。
例え知識や技術、作法のみを統一し教育を施したとしても、それだけでは人間は真に一致団結することができません。
そこには、言葉にできない感覚、すなわち感情や仕草、文化であったり、哲学や想いなどの「心の共有」がより必要になっていきます。
しかし、いわゆる「空気を読む」力が低い人は、この「心を読む」ことが苦手です。
相手を慮ることができないがゆえに、自分も相手に合わせた適切な行動が取れないわけですね。
結果的に顰蹙を買うような行動を日々繰り返してしまい、周囲から非難されます。
しかし、本人には何が悪いのかさっっっっぱり分からないのです。
悪いことをしている意識はない。法律にも抵触していない。
特に失礼なことを言っているつもりもない。礼儀も守っている。
しかし、相手には自分が思いもよらないようなニュアンスや感情が露骨に顕わになっているのです。
自分が心を読むことができないがゆえに、他人の心を読めない。だから、他人の心を介して自分の心を省みることができません。
他人の心を読めない人は、実は自分の心を読むことさえも、満足にできていません。
他人は自分の写し鏡だと良く言われるのは、他人を介して自分を知ることができるからなのです。
他人を視ることのできない者は、自分の存在にも気が付かないのです。
コミュ障に欠けている能力
心を読むことができず、空気を読むことができない。
これはすなわち、人間が生きていくうえで大切な能力が実は足りていないということです。
結果的に、学歴優秀で能力はあるはずなのに、なんかコミュニケーションが取りづらい。言葉だけをそのまま受け止めるために業務や学業、人付き合いに大きな支障が出る。
「医学的にもなんか良く分からないけど適切に社会生活が営めない」→発達障害と言われるものになります。
本人にとって何より理解できないのが、このコミュニケーション力を測るための明確な指標が存在しないことです。
学力、運動能力と関係がない。そのため、何かのテストを受けて低い点数が出ることはありません。コミュニケーションを必要としない学校の成績や知能検査にはまったく問題が出ません。
しかし、指標がないだけであり実際に問題があるのは事実なのです。
もしもコミュニケーション力を測れるテストがあったとしたら、もしかしたら落第点を叩き出してしまったかもしれません。
明文化が重んじられる現代では、特に「実際の生活に必要不可欠だが、言語化できない能力」は軽視されがちです。
コミュ障になった原因
それでは、何故コミュニケーションの正しい手法を身に付けられなかったのでしょうか?大きく分けて2つあります。
- コミュニケーション力を身に付けられる家庭環境にいなかった。
- 感情を読む力が生まれつき低かった。
たとえ能力的に問題がなくとも両親や家庭環境に問題があればその能力を鍛えることはできません。
特にルールだけを優先しがちな厳しい家庭環境にありがちです。
心を読むことが苦手な親は、心や感情の事を考えることを嫌います。
結果、全てをルールや決まりで支配しようとしてしまうのです。
また、生まれつき感情を読むことそのものが苦手な人もいます。この場合は親や家庭環境は関係なく、生まれついて持った脳の問題であるケースもあります。
前者は訓練さえすれば解決することが簡単な一方、生まれついての場合は改善が非常に難しいケースがあります。
しかし、本人の努力次第で、意識さえすれば問題のない状態まで回復することができるケースが多いのも事実です。
現代社会では核家族化や成績至上主義が跋扈した影響により、昔は多少コミュ力が低くても周囲が育ててくれていたために問題にならなかったレベルの人まで、コミュ力の低下によって苦しめられるようになっています。
またグローバル化や多様性を重んじる環境によって、常識そのものが多様化してきたことも拍車をかけているでしょう。
心を読むテクニック
文化や環境によって心のとらえ方は多かれ少なかれ異なってきます。そのため、どんな状況にも通用するテクニックなんてものはありません。
同じ日本国内でさえ、関東の常識が関西や九州では通用しないなんてことがザラにあります。
しかし、そもそも相手の心を慮る能力さえしっかりと持っているなら、どんな人間関係にも適応していくことが出来るようになるでしょう。
相手の心を読むために必要なもの、それは相手の醸し出しているオーラを読むことです。
これでは、言っている意味が分からないかもしれませんね。
もう少し具体的に言えば、相手の身体全身の揺れ動きです。
- 顔はどのような表情をしていますか?
- 肩は上がっていますか?下がっていますか?
- 足回りはどうでしょう?しっかりと地面を踏みしめていますか?それとも偏っているでしょうか?
これら、顔の表情、手、足腰・・・これらの動き一つ一つに対して、あなたはどんな「感情が書き込まれているか」読むことはできますか?
コミュニケーションが円滑にできる人は、このようにして相手の身体から直接、感情や意図を読み取っているのです。言語のように。
感情というものは、文章や知識だけでその本質を知ることはできません。
何故なら、それは「身体が発している信号」だからです。喜怒哀楽、怒りや喜びは体感することでしか理解することができません。
感情そのものを感じることがもしできないのならば、人の心を読むことにどれだけ支障が出るか想像に難くありません。
もしもあなたが喜怒哀楽といった自分の感情が分かるならば、訓練さえすれば他人の感情を読むこともでるようになります。
初歩的な方法
相手の表情や態度、仕草をそっくりそのまま真似てみましょう。
感情とは身体の姿勢や態度、表情によって作り出されるものです。
相手に成り切ってみるのです。
すると、相手の今持っている感情が何となく分かってきます。
どんな感情を持っているのか?どんな気分なのか?
こうして相手の気持ち分かれば、「ではなぜそのような気分になったのだろう?」。気になってきませんか?予想してみましょう。
「何か嫌なことがあったんだろうか?そういえばさっきこっぴどく叱られていたなあ・・・」
このようにして、少しずつ他人に成り切って心を読む練習をしましょう。
練習を続けていけば、相手の持っている心情が少しずつ解るようになっていきます。
成り切りと観察と分析、これを繰り返しましょう。
これが、他人の心を読むテクニックの導入部です。
感情はオーラによって伝染する
感情そのものは身体が発している特定の周波数です。
怒りには怒りの感覚が、喜びには喜びの感覚があります。
そしてこれらの感情は、実のところ態度や仕草のみならず、音、光、臭い・・・様々な情報によって伝わっているのです。
あらゆる物質は振動数、すなわちオーラとして見ることができます。
これらを統合して波長というひとくくりで捉えると、オーラそのものが見えてくるようになります。
人の感情はオーラを介して他人の身体にも伝わるのです。だからこそ、敏感な人は相手の気持ちを「察する」ことができるわけですね。
そう、コミュニケーション力を鍛えて相手の感情を読む練習は、このオーラを読むための練習の第一歩でもあるのです。
相手を察することのできる技術、これを鍛錬していくと、相手の心のみならず健康状態、惹きつける者まで解るようになっていきます。
実際にオーラを視るまでトレーニングを積む必要はないとしても、コミュニケーション力を鍛えたいなら相手の心を読む練習は必要不可欠な要素なのです。
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