チャクラの働きから見た愛のしくみ
よく、ハートチャクラ(胸の真ん中に位置するチャクラ)は愛を司るチャクラと言われています。
しかし、実際に愛という感情と、チャクラの動きを重ねて観察してみると、愛を表現するために使われているのがハートチャクラだけではないことが分かってきます。
愛のメカニズムでお伝えしたような、愛の段階ごとに、その働きをチャクラと重ね合わせて見てきましょう。
存在容認
愛する対象が存在することを認める、愛するための対象を、自分が認識していなければ、対象を愛することはできません。
犬という動物を知らない人は、犬を愛することができません。
この存在を認識し、自分の内側に作り出すという働きは、ハートチャクラ(第四チャクラ)によって行われています。
存在肯定と行動肯定
愛する相手を肯定し、その存在を受け入れることが、愛するためには不可欠です。
嫌いな相手を愛することはできません。
この好き嫌い、すなわち、対象を認識し理解したうえで、自分にとって好ましいものかどうか判断する。
これは、マニプラチャクラ(第三チャクラ)の働きです。
存在肯定はハートチャクラとマニプラチャクラの双方が働くことによって維持されています。
一方、行動肯定はマニプラチャクラの働きがメインです。
共存
愛する相手の行動を受け入れ、そして行動を共にすることができる。もしくは、相手が自分の隣にいること許すことができる。
愛する相手と共存するためには、相手と自分が持っている欲や感情を理解したうえで、自分と相手の双方にとって最も有益な関係を結ぶことです。
お互いのバランスを上手く取り合うことで、互いに支え合う関係を築くことができます。
互いの生活や体質、欲しいものを理解し、バランスを取る。
この機能はセイクラルチャクラ(第二チャクラ)が担っています。
共有
自分の存在が相手の存在を支え、相手の存在が自分を支える。
自分と相手を二人を合わせて、ひとつの存在として捉える。
現在の家族全体の状態を感じ、家族全体を支えるために行動することができる。
この家族全体をひとつのものとして捉え、その安定感を感じとるのはルートチャクラの働きです。
ルートチャクラは環境を感じ取るためのチャクラです。家族全体が、自分を下支えしてくれている環境ということですね。
まとめ
上記のように、深い愛を育むためには、ハートチャクラ以外のチャクラの働きがとても大切です。ハートだけではとても間に合いません。
ハートチャクラによって得られる愛は、相手を認識し、その存在を受け入れる。
このレベルなのです。
基本的に下位のチャクラはハートチャクラによって動かされますので、ハートチャクラが愛のチャクラである!という考え方はあながち間違いでもないのですが。
逆に言えば、ハートチャクラによってもたらされる愛は、すべての人類の存在そのものを受け入れる、というような全人的な愛です。
特に男女関係を結ぶ、愛する恋人や家族を作るといった場合、下位のチャクラの働きが絶対不可欠となってきます。
下位のチャクラは肉体のために存在するチャクラです。男女関係などの愛は、あくまでも個人的なもの、肉体的なものなのです。
ハートチャクラより上のチャクラになってくると、自分の肉体、個人としての枠組みを超えた世界を感じるためのチャクラになります。
個人的な愛を感じるためには、基本的に上位のチャクラはあまり関係がないのです。
愛という意味で上位のチャクラが担うのは、何を愛するか?ではなく、何が愛せるか?という働きになってきます。
自分が持っている人格や性格、性質を形作っているのが上位(サハスラーラ・アジナ・ヴィシュダ)のチャクラです。
現在の自分の趣向を維持しているという意味では、愛せるものと愛せないものを見分けるために、上位のチャクラは常に働いています。
しかし、もしもより高いレベルの愛を受け取るために上位のチャクラを働かせるならば、真っ先に得られるものは自己変容です。
それこそ自分が変わってしまうことにより、愛することのできる対象の幅が広がるのです。
もしも、日頃から自分が愛されないと強く感じ、性的な愛に限らない愛自体が枯渇していると感じるなら、ハートチャクラより上のチャクラに強い問題を抱えている可能性があります。
これは、ひとえに因縁・カルマの産物ともいえるわけです。
自分自身の在り方・認識が強くゆがんでいると、愛を得ることはできなくなってしまいます。
もっとも、自分が今置かれている環境自体がおかしいということもあります。もしかしたら、今の環境から離れられない、という認識そのものが誤っているのかもしれません。
在り方・認識のゆがみは多種多様なので、どのように行動することが最も良い結果になるのか?それは、その人によって違います。
枯渇感がもたらす愛への渇望
それぞれのチャクラが何らかの理由で働けなくなると、そのレベルで強い枯渇感(のどが渇いたような感覚)に襲われるでしょう。
誰かに抱きしめてほしい、優しくしてほしい、という感覚をはじめ、単純に身体を撫でてほしい、いたわってほしいなど・・・
これらの「愛への枯渇感」はそれぞれ似ているように見えて、実際には求めているものが違います。
ハートチャクラの枯渇感
ハートチャクラが枯渇するのは、ひとえに認識したいものの幅が狭く、狭量になってしまっているからです。
分かりやすくいうなら、「気に入らない人間」が多すぎるのです。気に入らない人間を、ヒトは認識したくありません。目の前から遠ざけたくなるのです。
そうして認識することを拒絶すると、ハートチャクラが枯渇します。
あなたが認識することを拒絶しているのは、実は相手そのものではなく、相手を認識したあなた自身が作っている、世界そのものだからです。
実は、拒絶されているのはあなた自身です。こうしてあなた自身から愛は遠ざかり、枯渇感が増してきます。
さらにざっくりと分かりやすく言うならば、いつも他人に神経をとがらせているから、ハートが消耗するのです。
マニプラチャクラの枯渇感
日頃から頭を使いすぎ、理論的な思考(マイナス思考)に没頭していると、このチャクラは枯渇してきます。考えすぎることで行動に転化できなかったエネルギーが鬱屈してくるのです。
そしてこのレベルの枯渇感は、実際に愛に対する渇望(愛欲)へと発展しやすい傾向があります。
感情的な鬱屈と言えばわかりやすいでしょうか?
特に悲壮感や現実的な失望感を強く味わっている人は、このレベルが停滞しやすいでしょう。
セイクラルチャクラの枯渇感
仕事で無理をしすぎたり、義務感や奉仕業から身体を痛めつけるような行動をしている場合、肉体的な充足感というレベルで強い枯渇を感じるようになります。
主に自分の肉体を痛めつけることを日常としていると他人にもそれを強いることが多く、暴力的な性衝動へと発展してしまうことがあるので注意が必要なレベルです。
自分自身の肉体を良い状態に管理しようという意識が軽薄なためにこのレベルの枯渇が起こります。
この性衝動はおそらく肉食動物が獲物を狩るの時の衝動と似ていると思われます。
経験則的に、上位の枯渇は女性が感じやすく、逆に下位の枯渇は男性が感じやすい傾向があります。
自分の枯渇感がどこから来ているのか?自分で知ることができれば、生きる上での問題を解消できるヒントになるかもしれませんね。