舎利子 道 自己認識療法のブログ

舎利子 道 健康とスピリチュアル・瞑想のブログ

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第六チャクラ アジナチャクラの機能とメカニズム

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第六チャクラ、アジナチャクラは第三の目、サードアイ、視覚のチャクラとも呼ばれています。

 

このチャクラは視覚もさることながら、主に記憶の演繹と帰納を司っており、記憶と現実との差異をすり合わせ、そこから現実を知覚する役割を持ちます。

 

このチャクラ、およびこのチャクラと直接関係している神経組織、すなわち「脳」は現実世界を過去の経験と照らし合わせることで、物事を正しく認識するための高度な処理機能を持った演算装置です。

 

また、脳から出る神経は身体全身と繋がっています。

身体全身から得られる情報を統合し、その計算結果を意識・自覚の領域へと送信するのです。

 

 

人間が実際に見ている(認識している)と思っている世界は、眼から入ってくる光を直接感じることで得られるものではありません。

光を感じ取り、それを脳が複雑な処理を経ることで、ようやく今見ているものが何なのか?結果として表層の意識へと浮かび上がってくるのです。

 

 

 

例えば、人間が網膜を介して得ている「生の画像」は、実は上下左右真逆の映像です。

 

 

学校の理科の時間に、レンズの虚像と実像って習いましたよね?それと全く原理は同じです。

 

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網膜に移っている映像は実際は虚像のような姿をしていますが、我々が見ている映像はそのようには認識されませんよね?

これは、脳が網膜に移った映像を上下左右修正してから、意識へとその映像を送っているからです。

 

 

これは脳による事実の修正がどのように行われているか?を表しているたとえのひとつですが、実際、我々がものを見て物質がそこに存在することを意識した時、それが事実であるとは限らないのです。

 

 

我々の脳は、まず目の前の物を見た時、「そこに物があるかもしれない」という予測を立てます。そして、実際に触れられることを確認し、そこにモノがあると認識できたときに、ようやくそこにモノがあったという現象を事実だと認めるのです。

 

 

逆に言えば、捉えられないもの、概念、実際に存在する電波や波長、視覚外に存在する光線などは、実際にその場に存在していても認識することができません。

 

 

例えば空気などがそうですね。

我々は現代科学で空気や酸素、二酸化炭素というものが存在するという「事実」を知識として知っているから、何もない空間になぜ風が起こるのか?目で見えないのに存在しているか?を正しく確認することができます。

 

逆に言えば、たとえ事実として起こっている現象や概念でも、脳がそれをキャッチし、理解して処理することができなければ捉えられないし、理解することもできません。理解することが出来なければ、もしも目の前に事実として起こった現象があっても、脳はシャットアウトしてしまうのです。

 

(目の前に自分と同じ意識を持った人間がいる、という事実さえも、それは本当に意識を持った人間でしょうか?それは事実でしょうか? )

 

 

どのような概念、物事、事象に焦点を合わせることができるか?そこがこのチャクラを正しく使いこなすためのポイントとなるところでもあります。

近くにあるものを視る時には焦点を近い場所に合わせる必要があるし、遠くのものを視る時には近くに焦点を合わせていては、遠くのものを捉えることはできないのです。

 

 

 

世の中には、幽霊や天使、妖怪や精霊、亡くなった方や、果てはオーラや紫外線、音を色として観察することができる人・・・さまざまな特殊なレベルに焦点を合わせることができる人がいます。

 

 

普通の人間には合わせることができない、脳が認識し処理することができない領域でも、彼らの脳には焦点を合わせて理解し、観察することができるシステムが備わっているのかもしれません。

 

 

 

アジナチャクラの役割

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アジナチャクラの主な機能は、観察対象の全体像を把握し、それを思考へと落とし込むことです。

 

すなわち、例え目に入り、耳で聞こえ、肌で感じたものだとしても、それを理解して思考へと落とし込むことが出来なければ、人間はその現象を事実として意識で認識することができない、ということになります。

 

 

便利な道具を持っていても使い方を知らなければガラクタになってしまう、

津波がやってきてもその可能性さえ思いつかなければ予兆をいくら観察しても逃げることも思いつかない

自分の態度が問題だということに気づかなければ人間関係を改善するために糸口さえ見つけられない

理論的な理解力を持っていないと哲学や物理学の存在意義が分からない

 

 

挙げればきりがありませんね。

 

 

このチャクラは開くことのできる幅がとても広く、様々な概念を持った世界に対してアクセスし、理解することができます。

 

すなわち、理解することができる世界や概念に対してこのチャクラは開くため、どの概念に対して日頃からアジナチャクラが開いているか?によって認識する世界や価値観がガラリと変わります。

 

 

もしも我々がこのチャクラにおいて共通して開いているレベル(共有している言語や概念、感情など)が乏しいと、お互いに同じ場所にいるにもかかわらず、まるでそれぞれが別次元に住んでいるような状態になるでしょう。

 

(高名な哲学者や天才物理学者たちは、一般の人と同じ世界に生きてはいないでしょう)

 

 

 

第六チャクラが代謝するオーラフィールド

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このチャクラは第四チャクラの代謝するオーラフィールドと少し様相が似ており、七色の様々な色を持った光がこのフィールドを形成して取り巻いています。

 

ただ、このフィールドとハートチャクラのフィールドが持つ明確な相違点は、

このフィールドが概念を形成するための映像を作り出しており、ハートチャクラのフィールドは映像を具現化している、という点です。

 

 

人間が実際に目の前の物事を認識する時、(実際はほかのフィールドも並行して機能していますが)第六チャクラで概念を創造し、第四チャクラで概念を具現化する、という過程を経ています。

 

視覚的にはハートチャクラは七色の雲のような形質をしていますが、このフィールドの七色の光は、名前の通り光そのものに見えます。

 

 

この光がオーラに差れ込むことで我々は感覚を映像として理解し、概念として認識することができるようです。

 

すなわち、このチャクラは第1~5のチャクラによってキャッチされた情報を統合し、光の映像へと変換して理解する役割がある、ということです。

 

 

概念とは情報、視覚的概念、すなわち光だということなのでしょう。

 

アジナチャクラの閉鎖がもたらすもの

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アジナチャクラは基本的に、生きて意識を持っている人間である限りは、完全に閉じるということはありません。

 

しかし、我々人間が共通認識として持っている概念や事象、生きるために必要な知識や五感に対してこのチャクラが閉じてしまっていたとしたら、チャクラを観察できる人から見ればまるでアジナチャクラが完全に閉じてしまっているように感じることもあるでしょう。

 

 

このチャクラは現実を正しく認識するために機能しているチャクラではありますが、逆に現実以外の事象、人間が生きるために全く必要のない世界や、およそ普通の人が認識している現実とはかけ離れた世界に対して開くこともできます。

 

分かりやすく言えば、ゲームや小説の世界を事実だと誤解して過ごしているようなものです。

 

このゆがんだアジナチャクラの開き方は二通りがあり、片方は自分の脳内の妄想にアクセスし、幻覚を創り出してしまっているケース、もう一つが、人間の認識している現実世界とはかけ離れた世界だけを事実として受け取ってしまっているケース、の二種類があります。

 

 

さすがに人間が生きる限りは人間世界を知覚することをまったくやめてしまうケースは非常に稀で、そもそもそのような人は健全な社会生活を営んだり、健康を維持したりすることに対して非常に強烈な支障をきたすでしょう。

 

幻覚を創り出すケースというのも2通りがあり、ひとつは脳の機能障害によるもの、もう片方が、妄想の世界へ逃げ込むために自分自身が脳内に新世界を創造するケース、です。

 

脳の機能障害は後天的に歪んだ経験を通して起こることもあれば、薬物、事故などの脳の物理的損傷で発現することもあります。

 

しかし、どこからどこまでを機能障害ととらえるか?これもまた難しいところです。例えば昔の社会常識と現代の常識はまったくかけ離れており、例えばキリスト教原理主義世界線では天使や神様が知覚できることは素晴らしいことですが、逆に現代でそれを事実として知覚していてもただの変人扱いされてしまうでしょう。

 

我々は成長過程で脳が持っている本来の機能を良しにしろ悪しきにしろ切り捨てて大人になっていきます。

 

その機能の中には妖怪や妖精を視る、捉える、天使を視る、といったものを始め、本能的に脳が本来持っている様々な機能が存在しているのです。

これらの能力が現代社会で通用するか?有意義かどうか?それはまったく別問題ですが。

 

 

また、我々が普段認識している世界とはかけ離れた現実世界を知覚し、それを当然のこととして暮らしている人もいます。

 

そのような人は物理学者であったり瞑想の達人になったり芸術家だったり、もしくはそのような輝かしい功績などとても得られないようなアウトローだったりもします。

 

しかし、彼らの生き方が常識から並外れていたとしても、彼らは一般人が理解することができないような現実を知覚ししっかりと意識して、現実的に取り組んで生きているのです。

 

そのような人は変わり者、変人だったりはするものの、特に生きる上において問題もなく、もしくは普通では考えられないような功績を残す人もいます。

 

一般的に常識として理解されているよりも、本来知覚できる現実の範囲は広いのです。

 

ただし、我々の五感の限界、知恵の限界にそれは左右されるため、なかなか天才や奇人と言われる人たちの世界を体感することは難しいでしょう。

 

逆に言えば、天才や奇人の見ている世界こそが正しい現実で、我々の方が妄想の虚飾にまみれた現実を生きているのかもしれないのですから。

(地位や金銭に行動が極端に左右されていたり、本来物質的にまったく無価値なブランドを崇拝していたり、ね)

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