営業と瞑想
瞑想が自分の内側を探る作業ならば、営業とは自分の外側を探る作業だ。
しかし本来、自分が五感より情報を得て、そこから事実をくみ取っているというメカニズムに照らし合わせるならば、内側と外側との間には境界などは存在しない。
結局、自分の内面をコントロールするか、外面をコントロールするかの違いでしかないのだ。
そして、自分の内面のみよりも、外面を含んでいるほうが情報量は格段に多く、難易度は高い。
外面を見るためには内面も同時に把握していなければならないためである。
そのため、ただひたすら山にこもっている修行者よりも、俗世でさらに研鑽を積んでいる在家者の方が悟りを開いている、というのも良くある話である。
今は融合の時代である。
そのうちに、在家と出家、区別をつけること自体に意味がなくなる時代が来るのかもしれない。
そもそも、境界など存在しないのだから。