無理なことは無理!自分を傷つけないために
仕事や学校での上下関係があると、中には無理難題を押し付けてくる上司や友人がいます。
自分にはできそうもないような課題やとても達成困難な目標を掲げて、それが出来ない部下を責め立てるのです。
そうしてうつ状態になったり、自分を責め続けて弱ってしまう人もいます。
しかし、現実的に考えてみましょう。犬が空を飛べないように、ハトが海に潜れないように、無理なものは無理なんです。
先輩ができたからと言って、自分にはできないことがあります。それは、人それぞれです。
しかし、それを棚上げして、できない奴が悪い、と決めてかかるのがそういった人の常套文句です。
同じ立場だったら本人ができないにも関わらずいう人もいるでしょう。
そんな目に遭ったとき、それを素直に自分のせいだと考えて受け入れたところで、何の解決にもなりません。
むしろ、能力的に不可能である、という事実から目を背ける行為でもあります。
その事実を理解できない、もしくは本気で努力や根性だけでなんとかなる、と勘違いしている人は、放っておくべき人です。そのような指導をする人は本人もその責任を取れないでしょう。表面上だけうまく付き合って、できるだけ取り合わないようにするのがベストです。
しかし、そのような無理難題を言ってくる彼らの目的は、実はほかのところにあるのかもしれません。
例えば、自分には実は能力がないと自覚していて、そのコンプレックスを隠すために、無理難題を部下に与えて虐げているのかもしれません。能力がない、という苦しみを人に押し付けているケースです。
もしくは、仕事ができるかどうかなんて実はどうでもいい、部下をいじめるのが好き、という本質的にサディスティックな人間であったり、そもそも他人を一方的に見下すことが好きなだけかもしれないのです。
このような人と、手練手管を使って付き合い上手く乗り切る自信があるなら、相手はそういう人間なんだと割り切ったうえでうまくその場面を乗り越えることもできるでしょう。
もしくは、その状況に対応するのが自分には無理だ、と感じるなら、素直に辞めるなり、接触をさけるなどするほうが互いのためになります。
自分と他人、互いの性質と状況をよく理解して、その場を乗り切るための最善の手を打つ、これが困難を乗り越えるコツの一つです。
現代の学歴社会では、ただひたすら講師のいうことに従順にしたがい、与えられた課題を言われた通りにこなした学生だけが上に上がっていける環境です。
しかし、学生のうちはそれで通用したとしても、実際に社会に出ると親切に手を引いてくれる人など、ほとんどいないのです。
自分の生き方には自分が責任を持ち、ただひたすら従順になることにはそれだけ弊害もあるんだと理解していただければと思います。