無常を受け入れる
無常とは、常に変化し続けるということです。
一定に留まり、存在し続けるものはなにひとつ存在しない。
どのようにとどまっているように見える物質も、数万年という年数がたてば崩壊する運命にある、ましてや人が作り出した架空の価値観や社会的な常識などというものは、ちょっと人の価値観や認識が変わってしまえば崩れ去ってしまう、脆いものです。
しかし、それでも人間というのは動くのが嫌なものです。
時代が変わると人が変わる、価値観も変わる、価値観が変われば行動も変わるものです。
けれどもそれが受け入れられません。
自分が師事していた人が、次の瞬間に愚者になっている。
いままでくだらないと思っていたものが、急に巨大な権力を持ち、自分を脅かすこともあるわけです。
受け入れられない、というのは、現実を正しく見ることができていない、ということと同義です。
ブッダは仰っていました、「現実を正しく見なさい」と。
正しく見る、とは、正しいとされている規範を持ちなさい、という意味ではありません。
その視点は科学者そのものなのです。目の前の現実をしっかりと見て、何が正しいのかを常に学びなさい!ということです。
聖書や天動説が正しいといわれていた時代、ガリレオがもしもそれを信じ込んでいたら、地球が太陽の周りをまわっている、という事実を受け入れることができたでしょうか?
ダーウィンの進化論は認められたでしょうか?
正しいものというのは、常に無常なのです。それはどのように偉く見える人でも、権力を持っている人でも変わりません。
変化し続けるのです。
それを受け入れられない者は、自分が悟れていないのだと自覚しなければなりません。