瞑想で大切なのは観察すること【観察のポイント】
瞑想をするとき、自分の心の動き、どのような苦しみや思考を持っているかを観察して知る、これはとても大事です。
自分の意識を、感じている苦しみから切り離すことにより、自分が苦痛を感じていることを客観的に意識できるようになるのです。
観察者というのは、観察する対象から分離していなければ観察者たりえないのです。
しかし、ただ観察するだけで終わっていないでしょうか?
すぎゆくままに観察することは何を生み出すでしょうか?
すぎゆくままに自分の感情や思考を観察することができれば、確かに自分を、その沸き起こる感情や思考と同一化せずに済みます。
同一化せずに済むことで、その感覚を引きずらず、ただ過ぎゆくままに任せる、すなわち執着せずに済むのです。
しかし、気付きませんか?その感覚や思考はただ過ぎゆくままに放っておくと、人生、生きるうえにおいて次から次へと湧いてくることに。
すなわち、観察者になったからと言って、その苦痛の源泉を理解し、解決できているわけではありません。
ただ観察しているだけでは、それを感じることで自分が苦痛を感じとり、生み出しているという事実はなにひとつ変わらないのです。
学校の授業を思い出してください。
授業に出席して、ただそこにいて授業風景を眺めている。
そして学ぶべきことがなんであるか?一切理解できず、ただその苦痛な時間は過ぎ去るのです。
ほとんどの瞑想実践者は、これと同じことをしています。
これで本当に苦痛に対する理解が深まるのでしょうか?
その源泉を知り、メカニズムを理解し、本当の意味で苦痛をコントロールできるようになるでしょうか?
むしろ、その意識し始めた苦痛を避けようとして、行動や思考が束縛されているのではないですか?
この領域にとどまっている限り、苦痛の原因はなにひとつ解決することはなく、ただ苦痛の目の前で横たわって、寝ているにすぎません。
授業を寝ながら受けているのと同じです。
端的に言うと、思考は執着を生み出しますが、思考を停止させるのは間違いです。
これを理解するのは難しいでしょうが、様々な事実が見えてくるはずですよ。
少しずつ考えてみることをお勧めします。