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ゲートが閉じる 五次元の次元上昇に乗り遅れないために チャネリング

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最近、スピリチュアル界隈では次元上昇のゲートがついに閉じつつあり、アセンションへの道が閉ざされつつあるようです。

 

この最後の波に乗り遅れると次のアセンションは数万年後だとかなんとか・・・

 

 

 

周りにも気にしている方が多いので、せっかくなので聞いてみました。

 

 

 

 

ゲートが閉じる、ゲートって何でしょう?

 

「彼らのいうゲートとは、株式投資、もしくはハメルンの笛吹のようなものだ。ある意味では真の意味で人間が試される機会、アセンションは訪れつつある。そのため、時代の波に取り残されつつある、時代に乗り遅れている人間による、一種の囲い込みが起こっている。

 

真の意味で人間が各々、自分の人生に対して正しい責任を持ち始めると、もはや人間を囲い込み、奴隷として使役する、もしくはそれに近い方法は通じなくなってしまう。実のところ、アセンションが起こることで焦っているのは彼らなのだ。

 

分かるだろうか?ゲートが閉じる、という言葉は彼らにとっては真実なのだ。旧時代が終わりつつある。過去のやり方が通用しなくなる、という変化を彼らが恐れているのだ。

 

そして、また奴隷であることを自ら選択する者もいる。彼ら自身からしてみれば、自分で現実を見つめ、己の意思で責任を取る人生などごめんなのだ。常に誰かの加護下にいたい、そのためなら奴隷でも構わないのだ。

 

たとえその選択の結果、自分の現実が崩れ落ちようとも彼らは意に介さない。カルマ的に言うなら、彼らは責任を持つことを放棄することに執着している。自分の足で立ち、自分の力で進むことが怖いのだ。そして、そのような人々を攻撃してきた。迫害してきた。だから、自分が責任を持つ立場に立つことさえ拒否せざる得なくなっている。

 

その選択が悪いわけではない。彼らにとっては旧時代の方が心地よいのだ。彼らにとっては、新時代こそが否定すべき悪の時代だ。

このようにして、彼らの中で世界が二分されることとなる。」

 

 

つまり、アセンションにはまると悪い結果になると?

 

 

「他人の存在価値を真に認め、多様な価値観を受け入れる土壌が本人にあるならば、そのようなことは起こらない。

結局、彼らが欲しいのは単一の価値観によってランク付けを行う、単一身分制度の社会なのだ。その社会で優位に立ちたいに過ぎない。

ある意味では、今まで単一の価値観によって利益を得ていたため、それがやめられなくなっているともいえるし、逆に単一の価値観を持った社会に囚われることで恨みを募らせているため、その恨みを晴らすためには新しい価値観の世界に移行できなくなっている、ともいえる。

 

要するに、彼らは不安なのだ。新しい時代に自分の意思で進めない。誰かに手を引いてもらいたいのだ。単一の価値観というものは、大勢の人間の責任回避によって構築されるものだ。そして、今まではその方法で安定が築かれていた。だから、その安寧に座すことをやめられないのだ。」

 

 

では、アセンションを目指すとするなら、どのような方法で成すべきでしょうか?

 

 

「こうすれば確実に間違いない、という万人向けの方法は、結論から言えば存在しない。誰かに付いていくもの、従うもの、自立を望むもの、新しい時代において先陣を切ろうとするもの、そういった彼らの存在によって、新時代とは築かれていく。ふるい落とされるものと進むもの、どちらに分けて考えようとも、両者なくしては新時代はあり得ないのだ。

 

むしろ、そのようにして出来上がった差が、今後の時代の課題を作り上げることになる。」

 

 

おっしゃることは分かりますが、では個人でできることは何でしょう?

 

 

「自分の直観、良識を信じて、真摯に自分の狭い視野を自覚し、それに取り組んでいくことが、常人においては最も早道である。

 

結局のところ、人間は苦い経験を通してでしか、己の視野の狭さを自覚できない。

アセンションがなされるとするなら、それは本人の霊的視野の拡大であり、その視野の拡大こそが本人に著しい成長をもたらす。狭い視野は、痛い目を視なければ成長することがない。ゲートを意識しようがしまいが、結局は本人の視野が拡大するかどうかだ。ゲート自体は無関係だ。

 

ある意味では、ゲートを意識することで本人のカルマが発動し、それこそが本人の成長の糧となることがある。そのため、ゲートを意識して経験を積むことは良いことだ。暗中模索の状態を体験できなければ、この劇的な精神の成長は得られないのだ。」

 

 

 

 

要約するなら、旧来の単一的価値観で世の中を生きようとすると、新時代が地獄に見える、ということでしょうか?

 

同じ場所でずっとあぐらをかいていると、その場所はいずれ失ってしまう。諸行無常

仏陀が仰っていたように禅定は悟りではない、ということなのでしょうね。

 

 

身も蓋もない回答だって?信じるか、信じないかはあなた次第です。

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