無常を受け入れる
無常とは、常に変化し続けるということです。
一定に留まり、存在し続けるものはなにひとつ存在しない。
どのようにとどまっているように見える物質も、数万年という年数がたてば崩壊する運命にある、ましてや人が作り出した架空の価値観や社会的な常識などというものは、ちょっと人の価値観や認識が変わってしまえば崩れ去ってしまう、脆いものです。
しかし、それでも人間というのは動くのが嫌なものです。
時代が変わると人が変わる、価値観も変わる、価値観が変われば行動も変わるものです。
けれどもそれが受け入れられません。
自分が師事していた人が、次の瞬間に愚者になっている。
いままでくだらないと思っていたものが、急に巨大な権力を持ち、自分を脅かすこともあるわけです。
受け入れられない、というのは、現実を正しく見ることができていない、ということと同義です。
ブッダは仰っていました、「現実を正しく見なさい」と。
正しく見る、とは、正しいとされている規範を持ちなさい、という意味ではありません。
その視点は科学者そのものなのです。目の前の現実をしっかりと見て、何が正しいのかを常に学びなさい!ということです。
聖書や天動説が正しいといわれていた時代、ガリレオがもしもそれを信じ込んでいたら、地球が太陽の周りをまわっている、という事実を受け入れることができたでしょうか?
ダーウィンの進化論は認められたでしょうか?
正しいものというのは、常に無常なのです。それはどのように偉く見える人でも、権力を持っている人でも変わりません。
変化し続けるのです。
それを受け入れられない者は、自分が悟れていないのだと自覚しなければなりません。
正見識 相手の状態を正しく理解する
世の中、自分が気に入ったものを強要してくる人がいます。
「このアイスが一番おいしいから絶対これ買いなよ!絶対このアイスが一番!他のは不味くて食べられないね!!なんでそんな不味いアイス買ってんの?信じられない!!
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「俺はこの方法でうまくいったんだ!このやり方以外ありえない!!これだけが絶対正しいやり方なんだよ!!それ以外は邪道だ!!いいから俺のいう事を聞け!!つべこべ言うんじゃない!!
本人にとってはそうかもしれません。しかし、それがほかの人にとっても本当に正しいのか?
我々はその可能性から目を背け、いつも盲目のままでいます。
相手が自分の主張を聞き入れないのは必ず何かしら理由があるのです。
それに対して反抗的な思想や意思を持っていたり、単に気に入らないだけかもしれません。
人間関係に齟齬をきたすから聞き入れられないということもあるでしょう。
もしくは聞き入れること自体が本人に著しく害悪をもたらすこともあります。
しかし、相手に強要する人というのは、それが理解できないのです。視野が狭いのです。
その事実を認識できないのです。
物事がうまく運ばないとき、そこに「 悪いやつ 」はいません。
何かしらの原因が必ずあるのです。
日頃から、気に入らん!!という衝動に身を任せず、科学的に、理性的に相手の立場や物事を理解することを心掛けることが大事です。
チャネリング解説2
瞑想で大切なのは観察すること【観察のポイント】
瞑想をするとき、自分の心の動き、どのような苦しみや思考を持っているかを観察して知る、これはとても大事です。
自分の意識を、感じている苦しみから切り離すことにより、自分が苦痛を感じていることを客観的に意識できるようになるのです。
観察者というのは、観察する対象から分離していなければ観察者たりえないのです。
しかし、ただ観察するだけで終わっていないでしょうか?
すぎゆくままに観察することは何を生み出すでしょうか?
すぎゆくままに自分の感情や思考を観察することができれば、確かに自分を、その沸き起こる感情や思考と同一化せずに済みます。
同一化せずに済むことで、その感覚を引きずらず、ただ過ぎゆくままに任せる、すなわち執着せずに済むのです。
しかし、気付きませんか?その感覚や思考はただ過ぎゆくままに放っておくと、人生、生きるうえにおいて次から次へと湧いてくることに。
すなわち、観察者になったからと言って、その苦痛の源泉を理解し、解決できているわけではありません。
ただ観察しているだけでは、それを感じることで自分が苦痛を感じとり、生み出しているという事実はなにひとつ変わらないのです。
学校の授業を思い出してください。
授業に出席して、ただそこにいて授業風景を眺めている。
そして学ぶべきことがなんであるか?一切理解できず、ただその苦痛な時間は過ぎ去るのです。
ほとんどの瞑想実践者は、これと同じことをしています。
これで本当に苦痛に対する理解が深まるのでしょうか?
その源泉を知り、メカニズムを理解し、本当の意味で苦痛をコントロールできるようになるでしょうか?
むしろ、その意識し始めた苦痛を避けようとして、行動や思考が束縛されているのではないですか?
この領域にとどまっている限り、苦痛の原因はなにひとつ解決することはなく、ただ苦痛の目の前で横たわって、寝ているにすぎません。
授業を寝ながら受けているのと同じです。
端的に言うと、思考は執着を生み出しますが、思考を停止させるのは間違いです。
これを理解するのは難しいでしょうが、様々な事実が見えてくるはずですよ。
少しずつ考えてみることをお勧めします。
チャネリング解説1
渇愛とチャクラ 不足と苦痛 貪りと不満 健康と感情
たんぱく質、ビタミン、ミネラルなど、栄養が不足すると身体は当然病気になってしまいます。
特定の何かを極端に嫌うことで偏食になると、当然ながら必要な栄養が摂取できなくなって病気になってしまいます。
この理屈は、チャクラやオーラも同じです。
チャクラは、感覚を感じ取り、感覚を維持するための装置です。
地位や能力の優劣、優越感や劣等感、足りないといった感覚も、それを感じるのは、その「感覚」があるからです。
感覚を維持するためには、その感覚を日ごろから、何らかの形で使っていなければなりません。
日頃から目を使っていないと視力は衰えます。
筋肉は全く動かさなければどんどんやせ細っていきます。それと同じです。
例えば、第4チャクラ、ハートチャクラは自意識を制御するという役割を持っています。
自分とはどういう人間か?明確に意識するほど、胸の周囲にエネルギーが満ちていく感じがするでしょう。
自分とはこういう人間だ、こういう形をしていてこのような肉体を持っている、こういう能力を持つ、こういう存在だ、という感覚を維持しているわけです。
同時に、ハートチャクラは心臓の鼓動、代謝速度を適切に保つという機能を担っています。
すなわち、このチャクラに異常をきたすと心臓やその周囲に何らかの病気を作り出す原因となります。
自分を維持するというのは生命を維持するという点においても、自己を保つという点においても極めて重要です。
自分という存在そのものを健全に保つことを日ごろから意識できていないと、エネルギーが枯渇していき、このチャクラは壊れます。結果、同時に心臓や代謝に関連する病気を発症する引き金となるのです。
なぜこのようなことが起こるのでしょう?
なぜなら、自分を健全に保つという感覚そのものが、心臓の鼓動を維持するという感覚と密接にリンクしているからです。
鼓動が健全でないと、人間は自分が適切に保たれているという感覚を維持できないのです。
例えば、自分を適切に維持できない人によく見られるのが、依存体質です。
依存体質の人は、自分だけでは自分自身を支えられない、すなわち適切に維持できない!という感覚が極めて強い人です。
依存しないと自分を支えられない!という感覚を維持するためには心臓の鼓動に日頃から何らかの異常を持っていなければなりません。
そうしないと依存したいという感覚を維持できないからです。
こうして、不適切な貪りを持っている人は、不健全な感情をチャクラに作り出し、結果的に身体まで自己実現して病気にしてしまいます。
こうして感情やチャクラの状態は、最終的に肉体に反映されるのです。
このようにチャクラと感情、健康は切っても切れない関係にあります。
日頃から貪りの心が強い人は、その心を維持するために身体に無理をかけるわけです。