病気と認識 瞑想
病気とは、様々な意味で身体への認識不足が祟った結果、悪習慣が積み重なって起こるものです。
特に、生活習慣病をはじめとした、歳によって生ずる病は。
すなわち、逆に言えば病気というのは自分が日常を過ごしている中で、意識できていない歪みがあることを教えてくれているサインとも言えます。
何らかの現実を認識できていない、理解できていない証です。
その原因は食事や睡眠、嗜好品などによる物理的なものが原因であることもありますし、それこそ渇愛、怒りや性格的悪癖や歪んだ思考パターンが生み出していることもあります。
医者がその原因を探り当てることができることも当然ありますが、自分の肉体と最も長い時間をともに過ごし、日頃何をしているかを最も理解できるのは、何を隠そうほかの誰よりも自分自身のはずです。
日頃の意識さえしていない悪習慣や悪癖などは、医者でさえ見抜くことが困難なものです。
本人もそれが悪いなどと自覚していないのですから。
以前私が視た方で、加速度的認知症を引き起こしている原因が、高濃度のトランス脂肪酸を毎日摂取していた、ということがありました。
トランス脂肪酸が認知症を引き起こすという事実が一般的に知られる前のことです。
かなり長い時間問診と霊視を繰り返し、ようやく見つけ出した結論ですから、ましてや診断に時間が取れず、原因さえ予測できないようなものを、第三者が見抜くことは非常に難しいはずです。
しかし自分が見つけるなら、何かしらのヒントはあるものです。健康に悪いものを摂取した後の自分の身体の微妙な変化に気づくこと。それが何を意味するのか。なぜそのようなことが起こるのか。日頃から自分の感情の揺れ動きをはじめ、体調の変化に注意を払えているか。しっかり意識してチェックすると糸口が開けることが多いのです。
ただ、この繊細な感覚を磨くには、やはり瞑想が必要だと私は思います。
ヴィッパサナーはとても良い瞑想法です。やり方さえ間違えなければ。
スポーツの練習にせよ野球の素振りにせよ、ただ闇雲に回数だけ増やして練習する人は、目的意識を持って練習と改善を積み重ねている人には敵わなくなってしまうものです。
どのような修行法も目的を見失ってしまうと、得られるはずのものが得られなくなってしまいます。
常に目的意識を持ち、そのための行動を本当に実践できているか?自分自身が自覚しなければ、表面的にいくら正しいと言われている修行法を教えてもらっても、身に付かないのです。
常に自灯明、自分で責任を持って、自分自身を導いていあげましょう。